追憶といやしそうのハーブティー

[著者・ナトル]

 

 

 仕事中だというのに、珍しく彼女は少し上の空だった。

 


 アストルティアでも数少ない老舗、ビストロ・ガスパール。上品で広いキッチンを中心に豪華な内装が特徴のこの店で、冒険者は会話を楽しみながら料理を楽しむのだ。
 ナトルはここでウェイトレスとして雇われている。(無給なので雇われている、というより手伝っている、という方が正しいような気もするが)
 いつもなら開店前の清掃作業はオーナーが出勤してくるまでに1人、もしくはイラーナさんと2人で終わらせてしまう。本日はナトル1人しかいないのだが、店内を清掃中にテーブル席を見つめ、少し上の空であまり作業に集中できないようだった。
 外は冷え込み、少し肌寒くなってきた秋の朝に考えるのは、自分がビストロ・ガスパールに初めて足を運んだ日のことだった。


 

 ナトルは元々この店の客で、何回か通ううちにオーナーであるガスパールから誘われ、晴れてビストロ・ガスパールの一員となった。


 ビストロ・ガスパールは、知り合いのオーガの男性に「最近すっごくいい料理屋があるから!」と勧められて足を運んだのがきっかけだった。
 店の外にいるお団子頭の可愛らしいウェディの女性に出迎えられて初めてこの店に来店したときは、カウンターは満席、テーブル席にもちらほら客が座っており中々繁盛していた。ざっと見ても10組ぐらいは居るだろう。ウェイター3人、シェフ3人で営業してはいるが、注文を望む声が多く飛び交い忙しそうにしている。
 赤い制服が可愛らしいウェイトレスに、「お好きな席におかけ下さい!」と通されたのでテーブル席に座る。おすすめを聞くと「ステーキがとっても美味しいですよ!」と勧められたので、じゃあそれで、とバトルステーキを注文する。
 注文し終わり、ウェイトレスが席から離れていく。彼女の可愛らしい制服と、豪華かつ上品な内装を一通り見渡した後、最近購入した小説を読みながらステーキを待つことにした。賑わう店内の話し声と肉が焼ける音が、うるさ過ぎず静かすぎない居心地のいいBGMとなったおかげで読書が捗るのだ。
 そのまましばらく喋らずに読書をしていると、ウェディのウェイターがやって来て声をかけてくれた。品切れのお知らせかと思ったがどうやらそうではないらしい。
「ビストロ・ガスパールへの来店は初めてですか?」

 と聞かれたので素直にはい、と答える。
「ご来店ありがとうございます!是非ゆっくりしていってくださいね」

 と爽やかに返事をして頂き、そのまま少し他愛ない話に付き合ってくれたのだ。

「なるほど、いやしそうでハーブティーですか…!苦くなりそうなものですが…」
「ふふ、そうなんです。確かにそのまま通常の手順で作ると苦味がどうしても強くなるんですが、少しコツがあって……」

 あのときは確か当時研究していて面白かった、いやしそうで作るハーブティーの話をしたような気がする。少し専門的な話だったのに、引いたり嫌な顔もせず聞いてくださったのが嬉しくて、つい話し込んでしまった。
 1人で来店した客相手にも気配りを忘れない。こういう店は常連も多く総じて入りにくかったりするものだが、居心地の良さについ時間を忘れ、ステーキが届くまでの時間を楽しく過ごすことができた。

 この店は、注文を聞く時はウェイターが行うのだが、調理だけでなくサーブを行うのはシェフ、という一風変わったシステムだ。なのでステーキを焼いてくれたシェフがサーブしに来てくれた時、少しだけ会話もできる。(とはいっても基本は軽い挨拶程度ではあるが)
 ステーキを焼いてくれたウェディの男性は「ありがとうございます、ごゆっくりどうぞ」

 と、にこやかに声をかけたかと思うと、次の注文があるのか忙しそうに奥へさがっていった。(今思い返すとあれは絶対営業スマイルだった。)
 彼は愛想がとても良い、という訳では無いが、どこか安心感のある声をしていたように思う。
 このとき初めて、オーナーであるガスパールと話をしたのである。


 早速注文したステーキを頂こうと、ステーキにナイフを入れる。あまり力を込めなくてもスッと切れていく様子から、ステーキの柔らかさが伺える。丁度いいミディアムレアで焼かれたバトルステーキは、脂がとろけるようだがしつこくなく、赤身と脂の旨みに舌鼓を打った。確かにこれはおすすめするべき一皿だ。
 接客の丁寧さと料理の味がとても良く、なるほどこれは繁盛するはずだと1人納得した。


 それからこの店の常連になるまで時間はかからなかった。

 

 いつしかこの店はナトルの数少ない居場所のひとつとなった。

 

 ビスガスのウェイトレスへのお誘いは、常連になってからそう時間がかかる話ではなかった。
 元々スタッフに興味はあった。ここ最近顔なじみのスタッフも見かけなくなり、ウェイトレスが本当に少なく感じていたため、勇気を出して声をかけてみようかと意欲は益々湧いてきていたのだが、そもそも募集していなかったらどうしよう、それにこんな接客経験の薄い小娘が、あんな丁寧にウェイトレスができるんだろうかとありもしない話をずっと考えていた。しかしまさか本当に声がかかるとは思ってもみなかったのだ。
 声がかかった時は確かに驚きもしたが、それよりも数少ないお気に入りのお店に携われる側になれるんだ、ようやく声がかかった…!という気持ちが強く、内心ひそかに喜んでいた。
 しかし恥ずかしいのでこの喜びを内心だけで抑えるつもりが隠しきれてなかったのか、お話を頂いてから一旦考える、ということも無く二つ返事でOKを出してしまった。今思い返すと恥ずかしくなる。


 ウェイトレスを始めた当初はほぼウェイトレスが1人だったせいもあるだろうが、たくさんのお客様で賑わっており、とてもやりがいがあった。
 しかし最近は客足も落ち、以前のような賑わいも減った。元々オーナーの気まぐれ開店だったが、減ってきた客足に比例するように開店日も減った。
 このままだと大切な居場所が無くなってしまうかもしれない。自分の思い入れのある場所が無くなってしまうのは、いつだって悲しくなるものだ。まだそうと決まった訳では一切ないのに、いずれ来るだろうとぼんやり思っていた終わりが少し見えてしまったことに寂しさと悲しさを覚えたのだった。


 

 ここで物思いにふけっていたところから、ようやく目の前のテーブルを拭く作業を再開した。いつもより少し遅くなってしまったが、開店20分前にはなんとか清掃を終えたため、ここからは店外に出てお出迎えの準備をする。
 窓を開けると、外の木々の色が綺麗に赤く染まっている様子が伺える。今日は強い風が吹いていて寒く感じたため、軽く暖房の準備をした後、冷たい風が吹く庭に出る。

 するとここ最近では珍しく、フリフリで可愛らしいリボンを頭につけたプクリポのお客様が1人、寒そうにお待ちいただいていた。

「【ビストロ・ガスパール】へようこそ。開店まで少々お待ちください。」

 と声をかけると、こちらを向いて元気に2回頷いていただいた。

 そのまま少しお待ちいただいていたのだが、風が吹く度にプルプルと小刻みに震えて寒そうだったため、一度店内に入り、紅茶を2杯分淹れ、お客様にお渡ししようと外に出た。

「これ、よかったらどうぞ。お砂糖は必要ですか?」
「わぁ!ありがとうございます!お砂糖もすみません…!開店前なのにいいんですか?」
「外はこんなに寒いのに、開店前からお待ちいただいてるお客様を無下にしてはバチが当たりますもの。店内にはまだ入れなくて申し訳ございませんが、この紅茶で少しでも暖まってください」
「わぁ!いただきまーす!!」

 良かった、喜んでもらえた。
 オーナーに話は通してなかったが、代金は私が払えばいい。それに、事情を話せば許してくれるだろう。

 

「わたし、前回もその前も来店したんです。」

 お渡しした紅茶を飲んで寒さも少し落ち着いたのか、お客様はゆっくり話し始めた。

「あら、ご贔屓にしていただきありがとうございます。」
「えへへ…こんなに綺麗なお店に1人で来るの、とっても勇気が必要でしたけど、すっごく居心地よくてまた来ちゃいました。前回はバトルステーキでしたけど、今日はバランスパスタが食べたいんです!」
「ふふ、バランスパスタ美味しいですよね。是非ご賞味ください。」

 手に持った紅茶を飲みながら、お客様が着ている可愛らしいお洋服の話や今日の紅茶の茶葉の話など、他愛もない会話を楽しんだ。
 しばらくしてお客様は少し恥ずかしそうにこちらを見たあと、ぽつりと言葉を零した。


「せっかくの機会なのでお話したかったんですけど……わたし、ナトルさんのおかげでこのお店を好きになったんです。」

 

 お客様が言葉を紡ぎ終わる頃、ちょうど強い風が吹き抜け、綺麗に色付いた木の葉達が私達の間で舞い上がって、とても小さく渦を巻いた。


 渦巻いた木の葉の間に見えたのは、【ビストロ・ガスパール】という店を好きになった、あの時のナトルだった。

 

「初めてここに来た時、1人だったのですごく緊張してたんです。でも、ナトルさんがとっても丁寧に対応してくださって…、お料理が来るまでお話し相手になってくださったりして、とっても楽しかったんです。お料理もとっても美味しかったですし!」


  (ああ、あの時の私だ。)
 【ビストロ・ガスパール】という店のことをとても好きになったあの時のナトルが、目の前のお客様と重なった。


「あの時お話ししてもらった、いやしそうで作るハーブティー……とっても美味しかったです!でも少し苦味が出てしまったのは何故なんでしょう?」


(あの時私が感じた【ビストロ・ガスパール】の良さは、私を通じてちゃんと彼女に伝わったんだ。)

 この瞬間、ようやくこの店に相応しいウェイトレスになれたのだと感じた。


「……あれ?ナトルさん?どうしたんですか?!」

 慌てた様子でこちらの様子を伺うお客様の反応で初めて、自分の頬に伝う水分の存在を感知した。


 もう風は吹いていない。瞬きをしている間に、ナトルの幻影は風と共に吹き抜けていったようだった。


「……何でもございません。ご心配をおかけしてしまいましたね。」

 気を取り直してにこやかに返事をする。

「……もしかすると、湯の温度が高すぎたのかもしれませんね。いやしそうの苦味は少し特別で高熱に反応するので、もう少し温度を下げるといいかもしれません。」
「そうなんですね!ありがとうございます!!」
「お役に立てて嬉しいです。」

 そんなことを話している間に、間もなく開店時間になる。

 

「そろそろ開店ですね。」
「今日の営業も楽しみにしてますね!!」
「ご期待に添えるよう、頑張りますね。」


 店の入り口のドアを開けて、いつものように出迎える。

 この店を心待ちにして下さるお客様のために。


「【ビストロ・ガスパール】へようこそ!」