東側を高い崖に囲まれたこの店、【ビストロ ガスパール】の朝は冷え込む。陽が高く昇ってからでなければ日差しは届かず、いまいち冬の寒さから抜けきらない今の時期では尚更のことである。そしてこんな朝早くからビストロに来ているのは僕、あるいはイラーナさん、もしくはタヤーカちゃんくらいのものだ。
本日は店休日。オーナーシェフこと僕、ガスパールを中心に定例会議を執り行うことになっている。
「おはよう、起きてる?」
「まだ寝ているほうにお昼ごはんのデザートを賭けます!」
カラン、と玄関の鈴を鳴らしながらイラーナさんとタヤーカちゃんが店に入ってくる。四人用のテーブル席に腰かけていた僕は、タヤーカちゃんには悪いがしっかりと起きていた。
「おはよう。ちなみに今日のデザートは笹だんごの予定だったんだけど」
「舐めた口きいてごめんなさいでした、タヤーカにも笹だんごをください」
「自分の言葉に責任をもつ、それが大人ってもんじゃないか?」
「大人はそんな風に意味もなく意地悪したりしないわ」
ちょっと気取った態度の僕をイラーナさんが冷めた目で見たあたりで、全員でテーブルを囲んで席につく。
「じゃ、三人揃ってデザート抜きにならないようにとっとと会議を始めようか」
《議題① イラーナより》
「しもふりミートの仕入れ値がすごく高騰しているの。全メニューを時価で提供しているのはお客様にもご理解いただいているとはいえ、さすがに肉料理は高すぎて売上が落ちているのが実情ね」
肉料理の高騰問題は以前から議題に上がっていた。僕の一番の得意料理であり売れ筋料理でもあるバトルステーキは、同様の"効果"を半値程度で得られるバトルパッツァのレシピが調理ギルドから公開されたことにより、人気が下がり続けている。調理ギルド認可の調理職人である僕としては無視できない流行なのだが、いかんせん、長くグランドメニューに据えている品を変えることには抵抗があった。
「しもふりミートは野菜と違って収穫量が少ないのも問題ですからねー」
「どこかに安く仕入れられるルートはないのか?」
「そういうルートは大概、大口注文が可能な人気レストランに卸しているものよ。この店が定期的に五百やら千やら仕入れられるかしら?」
「そんなに客が来たことないな……」
「むむう、大量にお肉を消費できれば良いのですが……ハッ! 私が食べてしまえば」
「金が払えるならな」
メニューから肉料理、ひいてはバトルステーキを一時的にでも外すという選択肢はあまり選びたくない。とすれば解決策はだいたいいつもここに落ち着く。
「主力メニューだからな、赤字覚悟で値段を下げるようじゃそれこそ経営が成り立たない。やっぱなるべく安い卸店と契約できるようにするしかないんじゃないか?」
「あるいは自分たちでしもふりミートを狩りに行くか、ね。効率は全く良くないけれど」
「しもふりミートを三つ獲る間に、同じくらいの量のお肉をお弁当で食べちゃいますもんね」
真面目な顔で狩猟案を検討してくれているが、効率が悪いっていうのはそういう意味ではないんだよタヤーカちゃん。
「まぁ、この問題はいつも通り先送りということで……」
「仕方ないかしらね。次にいきましょう」
《議題② ガスパールより》
「春の新作メニューの件でさ。去年は梅肉ソースのタンクハンバーグ、その前は春野菜のカラフルミラクルサンド。今年はキレキレキッシュでいこうと思うんだけど、いまいち良いアレンジが浮かばなくて」
【ビストロ ガスパール】では、季節ごとにガスパール作の創作料理をメニューに加えている。完全に趣味の料理ではあるものの、季節感を与える皿は単純に楽しく、客ウケも良かった。
イラーナさんは顎に手を当て、俯きがちに目を伏せながら「……まあ、料理人ではない私達に聞かれてもという点は置いておくとして」と前置きしてから僕を見る。
「そうね、定番のアスパラガスとベーコンのキッシュなんかは旬の野菜だし良いんじゃないかしら」
「あくまで定番だけどね。そこからどう発展させていくかが決まらないって相談」
「ちなみにどうしてキッシュって決めたんですか?」
「昔の話だけど春祭りにはキッシュが欠かせない、っていう地域があったらしいんだよね」
だからなのかはわからないが、定番レシピにはアスパラガスやら玉ねぎやらの春野菜も多く使われている。
ふうん、と納得したように頷いたタヤーカちゃんは突然立ち上がり、僕を指さしてにこっと笑った。
「考えていても仕方がないです! 作ってから研究しましょう!」
「珍しく積極的だな! よし、それじゃあたまには一緒に作っ……」
僕をさした指を今度は口元にゆっくりと戻して、"しー"のポーズをしたタヤーカちゃんは僕に疑問符を投げかけてきた。
「餅は餅屋、キッシュ作りはシェフ、それを食べるのは?」
お腹を空かせた食いしん坊。
「ほら……とりあえず普通のキレキレキッシュが焼けたよ」
キッシュ自体はさほど難しい料理ではない。小麦粉などから作った器状の生地の中に、卵と生クリームと具材を混ぜた液を入れて、オーブンで焼くだけだ。三人で食べ切るには少し多かったが、昼前なのもあってぺろりと平らげた。
「美味しかったですねぇ」
「普通にランチタイムになっちゃったな」
食べ終えた皿をイラーナさんが片付けてくれているところで、タヤーカちゃんがこちらを見る。
「ところでお聞きしたいのですが」
《議題③ タヤーカより》
「キッシュとタルトの違いってなんですか?」
先ほどの料理工程を見ていて浮かんだ疑問なのだろう。器状の生地を作る、中に入れる具材を別にまとめる、そして器に具材を詰める。工程としては確かにキッシュとタルトは似通った料理ではある。料理初心者のタヤーカちゃんのために噛み砕いて説明するならば。
「ざっくり言うと、塩気があって食事っぽい中身なのがキッシュ。フルーツとかの甘味でデザートっぽいのがタルトかな」
「生地もだいたい同じなんです?」
「だいたい……だいたいね。タルトには生地自体に砂糖を入れることが多いかな。そういう意味では、砂糖を入れないでおけばタルトでもキッシュでも合うは合うよ」
もちろん同じ生地で作ろうとすれば調整は必要だが。
「なるほど……」
思案顔であっちを見たりこっちを見たり、少しにやけているような、それでいて緊張したような顔をしていたタヤーカちゃんだが、やがて僕を遠慮がちに見つめてきた。
「……もしかして、僕より先に面白いの浮かんじゃった?」
「見た目だけなら。ちょっと倉庫に行ってきます」
待つこと数分。タヤーカちゃんの手に握られていたのは、買ったはいいがほとんど使い道が無かったタルトの金型。一口大に作りたいときに使う、先の尖った楕円形、ボートのように見えることから『舟型』と呼ばれるモノ。
「キッシュ生地としては見たことがないのですが、この型でキッシュもタルトも作って並べるのはどうでしょうか」
「え、それはちょっとかわいいかもしれない」
正直にそう思った。最初から一口大のキッシュというのは僕は見たことがないが、技術的には問題なく作れる……と思う。
「あえて問題点を挙げるとすれば、一皿に食事からデザートまで載せるわけだろ? 八個……十個くらいかな。どう並べようか」
「あれなんかいかがです? あのー、お高いホテルのアフタヌーンティーで出てくるような、二段とか三段のお皿に小さなサンドイッチとかケーキとか載ってるやつです」
「確かケーキスタンドって名前だったっけな。でもあれの良いとこって色んな料理が所狭しと並んでて、どこから見てもどこから食べても楽しいってところだし」
「全部が同じ舟の形だから、そういう派手さはあんまり無いかもしれませんね」
案自体はとても良いと思う。キッシュ&タルトのオードブル。一つずつ別々の具材で作って。何から食べようか、何を取っておこうかとか。一皿でフルコースみたいなこともできるかもしれない。春野菜ばかり詰めたサラダっぽいのとか、スープ……は無理か、トマトとバジルでミネストローネ風にはできるかな。チョリソーとチーズで肉料理っぽいの、スモークサーモンとほうれん草で魚料理。デザートは言わずもがな、春が旬のイチゴとかサクランボとかでタルトにして──
「シェフー、顔が煮詰まってます」
と、タヤーカちゃんに呼びかけられて意識が頭の中の皿から店内に戻る。
「私の案が結構良かった感じですか?」
「うん、今年はこれでやってみよう。まだ具材とか盛り付けとか検討することは沢山あるけど。さあ、タヤーカちゃんもコックコートの準備してね」
「え? ですから餅は餅屋、キッシュ作りはシェフ……」
「だったらタヤーカちゃんも作れるようになればいい。それに、舟型を並べる案を出した功労者は君だぜ? このレシピに限り、店に出せるレベルのものを作れるように教えてあげるよ」
そう言われたタヤーカちゃんは少し面倒臭そうに、それでいてどこか嬉しそうな顔をする。言うなれば、親が突拍子もないことを言ったときに『しょうがないなぁ』と呆れながらも笑ってしまうような、そんな表情。
そんな二人を、帳簿の整理をしているイラーナさんが微笑ましく眺めていることには、僕たちは気がついていなかった。
そして夜。幾度の試作を重ねた僕たちは、ようやく納得のいく一皿を完成させることができた。
アスパラガスと新玉ねぎとベーコン。
キノコとポテトのカレー風味。
スモークサーモンとほうれん草。
トマトとチキンとチーズ。
イチゴのショコラ。
サクランボのレアチーズ。
メロンのカスタード。
クルミとアーモンド。
そしてこれらを並べる皿は──
「これ、皿って言うよりはおぼんみたいですね」
明るい色合いの木材で作られた、平たくて四角い器。そこに八種の舟を、位置はバラバラに、向きは揃えて並べていく。
「こうやって同じ方を向かせるとさ、器の木目が川の流れみたいに見えてこない?」
「ああ、なるほどです。かわいさはわりと減っちゃってますけど、どうしてこの器に?」
「春がテーマなわけでさ。春って旅立ちの季節でもあるじゃない。新たな旅に漕ぎだす舟なんだよこれは」
春に故郷を旅立つあなたたちへ。
そして、もしかしたらこの『船出のキッシュプレート』から始まるかもしれない、君の料理人生への祝いの皿。
「初めて一緒に料理をしてみたわけだけど、どうだった?」
「楽しかったですよ! たまにはやってあげてもいいです」
「たまにかよ」
「当面の間は私の専属シェフとしてよろしくお願いしますです」
「それこそたまにでいいかな」
ちなみに後日談であるが、春の限定メニュー『船出のキッシュプレート』は予約限定となった。おわかりかと思うが、こんな手間のかかる一皿を注文で受けていたらとてもじゃないが手が足りないのであった。というオチ。
《春の定例会議:閉会》