Catastrophe de neige

父は決して良い人ではなかった。自分の理想を追うことを一番に考え、他人のことを道具のように扱い、家族に対しても愛情があったのかどうか疑わしい。少なくとも、私にはそう見えた。

物心ついた頃には、私は既に両親に連れられて旅をしていた。何かに追いたてられるように各地を転々とする父と、それを諦めたように見守り支える母。母と一緒に綺麗な景色を見ることは好きだったが、いつも血の臭いをさせて宿に戻ってくる父のことは苦手だった。無口で、険しい顔をして、常に傷だらけの父。唯一好きだったのは、たまに作ってくれた料理。心なしか、料理をしているときの父の表情は穏やかな気がした。きっとあの顔が本来の父だったのだろうと、今ならわかる。

 

「ふう……」

剣についた血を葉で拭い、背中のベルトに通す。両手剣はその大きさが故、管理に手間がかかるのが欠点だ。しかし一太刀で敵を真っ二つにする快感は、他の武器では得られないものである。

魔物の集落の殲滅を依頼してきた村に戻り、村長から報酬を受けとる。妻と娘が待つ宿に帰ってきたのは、ちょうど陽が沈んだ頃だった。

「おかえりなさい」

「……おかえりなさい」

「ただいま」

警戒心の昂りと疲れからか、つい顔が強張ってしまう。自分を見る娘の顔が固くなっていることには、とっくの昔に気がついていた。

傭兵として妻と旅立ってから、もう7年が経つ。かつては料理店を営んでいたが、年々増していく魔物の脅威を憂い、自らの手で魔物を屠る生活を選んだ。村は襲われ、子は拐われ、魔の興隆に怯える日々。若い頃に旅をしていて戦いの心得があった僕は、世界を守るため旅に出た。その最中で娘を授かり、また守りたいものが増えた。

連日の戦いで身体も心も限界に近づいていることを感じながら、今夜も泥のように眠る。

 

朝になると夫は戦場に向かってしまう。こんなに陽の光を憎らしく思っているのは、世界広しと言えど私くらいのものだろう。

「いってらっしゃい」

数年前に病魔に侵された私には、もう戦えるだけの力がない。普通に生きる分には問題ないが、激しい動きに耐えられない身体になってしまった。かつては夫に剣術を教える立場だったが、今では世話を焼いてもらうことのほうが多い。

「お母さん、今日もおでかけする?」

「ええ、薬草を集めないとね」

私たち夫婦の収入は、夫がこなす魔物の討伐依頼報酬と、私と娘が集めた薬草類を売って得た微々たるお金である。魔物と戦うための装備や消耗品にはお金がかかるから、あまり良い暮らしは出来なかった。しかし、少しでも世界を平和にしたいと願って戦い続ける夫を止めることは、私には出来ない。綺麗だった灰色の髪が白く染まっても、肌が浅黒く汚れても、家族と過ごす時間がほとんどなくなっても、夫は歩みを止めない。昔からそうだった。目標のためには何を犠牲にすることも厭わない人。そんな彼を生涯にわたり支えようと決めたのは、私だ。それでも思ってしまう。あの時、夫が店を畳んで旅に出ることを止めていれば、もっと幸せな時間を過ごせたのではないのかと。

 

お母さんとやくそうつみをするのは楽しい。道に生えているいつもの草をつんで、かごに入れる。さいきんはお母さんに聞かなくてもどれがお金になる草かわかるようになってきた。やくそう、どくけしそうまんげつそう。まだらくもいともお金になるみたいだけど、わたしはさわりたくないから見なかったふりをする。

一人でも草を見分けられるようになったから、お母さんと分かれてやくそう探しをする時間がふえてきた。たくさんお金があればお母さんも楽できるだろうから、少しくらいお母さんとはなれていてもへっちゃらだった。

この森に来るのもなれてきた。今の町にはもうどれくらい住んでいるだろう。いつもの道だと、とれる草の数にもかぎりがある。お母さんはよく「森のおくはあぶないから行っちゃだめ」と言うけど、少しくらいなら平気だろう。そう考えてわたしは、まだたくさん草が生えているほうへと歩きだした。

 

ふと顔を上げると、娘の姿が見えないことに気づいた。少しの間だけ離れることはこれまでもあったが……時間が経つにつれ不安になってくる。

「タヤーカ!」

名前を呼んでも返事はない。どこへ行ったのだろうか。近場を探してみても手がかりは得られなかった。まさかとは思うが、森の奥へ入っていったのだろうか。昼間だというのに暗く、不気味な森のさらに奥へと進んでいく。

 

そう時間はかからず、娘は見つけられた。斧をもった屈強な魔物、エリミネーターに背負われた姿で。

とっさに私は茂みに隠れた。どうやら娘をどこかに運んでいるようだが、今の私には魔物を倒すことはできないため、静観するしかない。

もと来た道に向かって、薬草類を詰めたかごを放り投げる。私たちがいつも使っているかごだと夫は気づくだろうか。夫じゃなくてもいい。ついさっきまでこの場所で薬草を摘んでいた人に何かがあったと、誰かが気づいてくれることを願った。

 

今日は比較的はやい時間に依頼を達成したため、妻と娘が薬草を摘んでいると言っていた森に寄ってから帰ることにした。たまには料理でも作って、家族と話をしよう。両手の指で口角を持ち上げ、笑顔をつくる練習をする。恐い顔にならないように、眉間を左右に引っ張ってみる。むにむにと顔のストレッチをしながら、目的の森に入る。端から見れば滑稽な姿かもしれないが、こんな辺鄙な地で人に会うことなどそうそうないだろう。

食用のきのこや、鳥の卵、あまり知られていないが実は食べられる木の根など、料理に使えそうなものを集めながら歩く。そうしていると、先のほうの地面になにか落ちていることに気がついた。近づいてみるとそれは、妻がいつも使っている薬草かごによく似ていた。近くに散らばった薬草類が、なんらかの焦燥を訴えているようにも見える。どうせ森を散策するつもりだったから時間はある。もし本当に妻のかごだとしたら、何かトラブルがあったのかもしれない。踏みしめられた草を辿り、誰かが進んだであろう方向へと走りだした。

 

目がさめたとき、自分がしばられていることに気がついた。まわりは暗くて、そこら中に生えている小さな草があわく光ってあかりになっている。どこかから水がながれるような音が聞こえてくる。多分、ここはどうくつみたいなところなのだろう。近くには、私と同じようにしばられて転がっているこどもが何人かいる。そして少し離れたところには大きな人。いつか見た本に描いてあった。あれはたしか強いまものだ。

そう気づいたとき、急にこわくなった。私は連れてこられたのだ。きっとひどいことをされる。私が森のおくに入ったばっかりに、お母さんとはぐれてしまったから。

しばらくの間おびえていたが、まものは私たちになにもしてこなかった。ただ、不安な時間だけが過ぎていく。

 

洞窟の近くの茂みで妻を見つけたのは、夜更けのことだった。

「大丈夫か? なにがあったんだ」

「タヤーカがエリミネーターに拐われた。ついさっき、あの洞窟の中に入っていったわ」

「そうか」

妻は自分の力ではどうにもならないことを理解しているようだった。極度の緊張のせいか、能面のようになってしまった顔。

「ここで待っていてくれ」

軽く肩を抱き、努めて優しく声をかけてから洞窟へと向かった。

 

洞窟は暗く、道幅は狭い。奇襲を受けないよう慎重に進むだけで時間と神経を使ってしまう。敵がいるとわかっているのに遭遇していない時間は、実際に相対しているときよりも強いストレスになる。

僕は冒険者ではなく傭兵だ。数多くの依頼の中から自分の力量に見合った敵、そしてなるべく報酬の良い依頼を選び、受注する。敵戦力を把握し、最適な準備を整えてから現場に赴くのが常。命がけで戦うようなことはない。生活のための戦いであるから、無茶をしないで帰ってくるのが鉄則である。体を壊してしまってはその後の仕事に支障が出る。

今日はすでに依頼をこなしてきたから心身ともに疲弊している。あまり良いコンディションではなかったが出直す時間もない。大事な娘を、少しでも早く助け出したい。

僕は暗闇に足を伸ばしていった。そしてそれが、人生最期の一歩だった。

 

9.1

「【ビストロ ガスパールオーナーシェフガスパール氏、妻と共に遺体が発見される? へえ、死んだのかあのシェフ」

彼と直接の関わりがあったわけじゃない。ないのだが、彼の死に対して妙な寂しさを覚えるのは何故か。

「ま、オニーサンには関係のない話だよ」

すっかり長くなった髪をかき上げながら、小さくひとりごちた。

 

9.2

「なあ、何年か前に流行ってたレストランのシェフが死んだんだってよ」

「ふうん。それで?」

「いや、別に。美味い飯を作れるヤツが世界から一人減ったんだなって」

「あなたの料理だって捨てたもんじゃないわよ」

澄ました顔でそんなことを言う彼女が、とても愛おしい。自分に似た顔の、しかし会ったこともない男の死を悼んでいたのも忘れて、想い人に寄り添い歩いていく。

 

10

洞窟に囚われた私を助け出したのは、たまたま近くを通りかかった冒険者たちだった。洞窟の外で死んでいる私の両親を見つけ、念のため洞窟内の調査に乗り出したのだと後に知った。

身寄りを亡くした私はそのまま冒険者たちに迎えられ、いろいろなことを教わった。例えば敵を斬るための刃物の使い方、お腹を満たすための料理の作り方、自分の生きた物語を紡ぐための歌い方。

そしてある日、私は自分が『時渡り』を使える人間であることに気がついたのだった……

 

過去作品『出動!タヤーカ救護隊』へ続く