─1─
「坊ちゃま! いい加減にお目覚めになられては如何でしょうか!」
ドンドン、と無遠慮にドアを叩く音と、それに負けず劣らずのけたたましい声に驚き、思わずベッドから跳ね起きる。
寝ぼけた頭のままでとりあえずドアを開けると、声の主たるじいやが険しい顔でこちらを見ていた。
「なんだ、じいやか」
「なんだでは御座いません、坊ちゃま。今日という日は、朝寝坊で時間を浪費していいものではないはずですぞ」
僕が『返す言葉もない』とばかりに肩をすくめて見せると、じいやは小さく溜息をつき、パンッ、とひとつ手を打ち鳴らす。
その音を聞きつけた近くの使用人たちが集まるのに5秒とかからないのだから、いつものことながら感心する。
「お早うございます、大旦那様。よくお休みになられていたようですね」
「おはよう。あまり深酒をするものではないね」
僕が困り顔をして見せると、昨夜の晩酌に付き合わせた使用人が小声で「深酒と言っても1杯だけですがね」と茶々を入れてくるものだから、皆は揃ってくすりと笑った。
─2─
「大旦那様、本日のお召し物はいかがなさいますか?」
「君に任せるよ。僕はあまり服に興味がないから、いつも選んでくれて助かってる」
「そう仰ると思っておりました」
衣装を管理している使用人が、頬を弛ませながら箪笥に手を伸ばす。ひとつふたつ思案顔で探った後、真っ白なスーツを取り出す。
「こちらはまだお披露目したことありませんでしたよね? 個人的に好きなお洋服です」
「へぇ、いいね。けれど、今日はその服のままで料理をするから汚してしまわないかな」
すると彼は、微笑みを崩さないままこちらに迫ってくる。
「ご心配には及びません。まさか大旦那様が私の大事な衣装箪笥の中身を減らしてしまわれるなんて、そんなそんな」
嫌に凄味のある顔で言ってくるのだから、僕としては「そ、そうだね」としか言えなかった。これはこれで信頼の形だと思うことにし、彼の選んでくれたスーツに袖を通す。
姿見に映った自分を見る。似合っているかはよくわからないけれど、隣に立っている使用人が満足そうに頷いていた。
─3─
なにか腹に入れようと食堂へ足を運ぶと、ちょうど料理担当の使用人がフライパンを火にかけているところだった。
「おはよう。なにを作っているんだい」
「お早うございます。今しがたガレットが焼き上がったところですよ」
そば粉を溶かした生地を、クレープ状に薄く伸ばして焼いたガレット。僕はここにハムとチーズと玉子を落としたものが好物だ。
「どうぞ。いつもの具材でよろしかったですか?」
「構わないよ。いただこう」
もちもちとした生地に、香ばしく焼かれたハムとチーズの塩気がよく合う。玉子もとろとろとした半熟仕様。
「君の料理はちょっとしたレストラン並みだよ、本当に」
「恐れ入ります」
「前にも言ったけれど、僕と一緒に喫茶店のキッチンに立たないか?」
「前にも申し上げましたが、そこは大旦那様のステージかと存じます。私がお邪魔するところでは御座いませんよ」
ふっ、と微笑みながら使用人が断りを入れてくる。そして、急に満面の笑みを向けてくると、
「それに私、お嬢様へのお給仕の方でも評判が良いものですから!」
などとわざとらしくおどけてくるものだから、僕は無視してガレットを食べ進めた。
─4─
全ての支度を終えた僕は、ティーサロンに並び立つ執事たちそれぞれを見やりながら、店の入口へと歩を進める。
「店内の準備は」
「部屋の四隅に至るまで清掃済みです」
「ティーセットや食品の仕込みも、間違いなく完了しております」
「店外の警備は」
「定期的に見て回る予定で御座います」
「大旦那様はサロンにご尽力くださいませ」
「このスーツ、しっくりきているよ」
「ようやくお披露目できますね」
「お気に召されたようで何よりです」
「閉店後の楽しみはあるんだろうな?」
「とっておきのワインを開けましょう」
「スイーツもご用意しておきます」
「大旦那様、そろそろ」
「わかった」
「じいや」
「こちらに」
扉を前にし、今一度10人の執事たちと目を合わせる。今さら心配する必要はない。
「さて、それではお嬢様方をお迎えしよう。君たちも十分に楽しむように」
執事喫茶プラージュ。
繰り返される微笑みは、
寄せては返す波のように。