1
穏やかな昼下がり。ランチタイム営業のない【ビストロ ガスパール】は、掃除や仕込みを終えれば夜までやることがなくなる。
「今日も今日とて、ひまだ」
ガスパールが客席でだらけるのはもはや日課である。そんな店主を一瞥し、コンシェルジュのイラーナが帳簿をつけながら軽くなじってくる。
「魔物の討伐依頼でもこなして、少しは稼いできなさいよ」
「ええ……面倒くさい」
「あなたが無駄遣いばっかりするから、経営がいつもぎりぎりなんだけど」
「僕がどんな無駄使いをしたって?」
「着もしない大量の服」
「ぐうの音も出ない」
君は僕の奥さんかなにかか、と言うのをぐっと堪えて、仕方なく立ち上がるガスパール。冒険用のレザーメイルに着替え、装備と道具袋を腰にくくりつける。未だにこちらを見もしないイラーナへ「営業時間までには帰るから」と告げて店の出口へ向かった。
──カランコロン。ガスパールがドアノブに触れる前に、ドアかひとりでに開く。
「やあ、ガスパール君。お出かけかい?」
これは厄介なことになりそうだと、ドアを開けた桃色を見てガスパールは直感したのであった。
2
暗殺から破壊工作までなんでもござれの傭兵・ドロシー。通称、桃髪のドロッセル。ただしそんな緊迫した生活の裏には、次々と女性をとっかえひっかえしているという事実もあることをガスパールは知っていた。桃髪っていうか頭の中までピンク色だよなあ、と思っている。
どこぞの酒場で知り合ったガスパールとドロシー。女好きの性が惹かれあったのか、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
「うちの店は僕を目当てに美女がたくさん来るんだぜ。働いてみないか?」
「それは嘘っぽいけど、ま、楽しそうだしやってみるよ」
あれよあれよと言ううちに、ドロシーの雇われ先がひとつ増えた。およそ彼の本業とはかけ離れた、ウェイター・ドロシー。数々の女性を惑わせてきた話術が活かされ、客からの評判は上々である。
「それで、こんな真っ昼間から何の用だ?」
基本的にビストロの従業員は、夜の開店間際に出勤することになっている。日のあるうちに誰かが来るなど、そうそうないことだった。
ドロシーはいつも通りの、人を小馬鹿にしたようにも見える微笑を崩さないまま答える。
「いやね、たまにはガスパール君にもおにーさんの仕事を手伝ってもらおうかと思って」
「ドロちゃんの仕事って、大体は血生臭いイメージなんだけど」
「その通り。いや、今回に限っては血っていうか鉄の臭いかな」
にやっと笑うドロシーに、ガスパールはさらなる不安を募らせるばかりだった。
3
レンダーシアはメルサンディ地方には、巨大な地下水路がある。かつては使われていたのであろうレンガ造りの水路だが、今となっては魔物がはびこる廃墟と化していた。
そこに突如として現れた、おびただしい数のさまようよろい。調査に向かったレンジャーによれば、その数は百や二百では済まないという。
「本当はおにーさんが請け負わなくてもよかったんだけどね……メルサンディ村には知り合いがいるからさ」
被害が出る前に拠点を潰したいから手伝ってほしい、というのがドロシーの頼みだった。
「世界屈指の強者たるドロッセルくんに手伝いなんかいるのか?」
「数が多すぎて面倒なんだよ」
「なるほどね」
事前にドロシーが水路を偵察したところ、やはり数が多く、一人で壊滅させるのは骨が折れるだろうと判断した。しかし水路の入口は小さな井戸のみ。よって人海戦術よりも少数精鋭で潜入することにした。
そういう事情なら、それなりに腕の立つ戦士・ガスパールに白羽の矢が立ったのも頷ける。
「それにこの依頼はグランゼドーラ王国の紹介ってことになってるから、報酬もたんまり、だぞ」
「決まりね、行ってきなさいガスパール。今日の店は休業にしておくから」
外堀を埋められた。イラーナにこう言われてしまっては、もはや拒否権は無いに等しい。
「行くよ、行けばいいんだろ。イラーナさんは?」
「行かないわよ。だって……」
僅かに微笑んでイラーナが呟く。
「私は、ここであなたを待つのが仕事だから」
4
地下水路の入口となる、小さな井戸のある広場にガスパールとドロシーはいた。
「ところでドロちゃんや。僕たち2人とも戦士なわけだが」
「うん、そうだね」
「回復は?」
「ミラクルソードがあるじゃないの」
「本気で言っているのか……?」
「というか、さまようよろい程度の敵に遅れをとりはしないだろ」
妙に自信満々に話すドロシーをみて、着いてきたのは間違いだったかなと思い始めたガスパール。
「じゃ、中に入ろうか。多分すぐに戦闘になるから気をつけてな」
「了解。最深部まで一気に行くぜ」
「ガスパール君は危なくなったらすぐに引くんだよ」
「危なくなったらドロちゃんを置いて撤退する、オーケー」
「その言い方もどうかと思うよ」
雑談もそこそこに、井戸の底に降りていく2人だった。
5
がしゃん、がしゃん、と金属がぶつかり合うような音が絶え間なく鳴り響く地下水路。少し先に見える通路には、数えきれないほどのさまようよろいが蠢いていた。
「んー、このあいだ見に来たときよりも増えてるか?」
「ここまで増えるって、何かおかしいよな」
「うん、おにーさんもそう思うよ。どこかにまとめ役がいるのかもね」
「そうだな」
2人は剣と盾を構え、目を合わせる。
「対多数戦闘の経験は?」
「昔、少しだけイラーナさんに習ったよ」
「ん、大丈夫そうだね。それじゃあ行ってみようか。おにーさんに続きな!」
声を張り上げ、地を駆けるドロシーに気づいたさまようよろいの群れ。しかしやつらが動きだすよりも速く、ドロシーは剣を振るう。
「ぼさっとしてるなよガスパール君! おにーさん一人で全滅させちゃうぜ!」
いや、それならそれでいいんだけどな、と思いながらガスパールもさまようよろいたちに向かっていく。
斬りつけて、蹴りとばして、体当たりして、無数の鎧を壊して進む。ときには向けられた刃を避けることもあるが、基本的には二人が優勢だった。
「ガスパール君、ちょっと下がってろ!」
ガスパールが言われた通りに後ろに引いたことを確認し、ドロシーは剣を高く掲げた。
「輝きの奔流に沈め! ギガスラッシュ!」
刀身から伸びる光の帯が、周囲の敵を薙いでいく。あとには息を弾ませたドロシーとガスパールだけが残っていた。
「……なあ、やっぱり僕の助けはいらなかったんじゃないか?」
「何を言っているんだい、まだまだ先は長いぞ」
ドロシーの言葉の通り、通路の先からはまださまようよろいが押し寄せてくる。倒し続ければいずれ終わりは来る、そう信じて進むしか二人に道はなかった。
6
この扉の向こうは地下水路の最奥、大広間である。激しい連戦を勝ち抜いた二人の防具はとっくに傷だらけで、手にする剣と盾は敵から奪ったものに替わっている。戦闘の経験が豊富な二人とはいえ、圧倒的な数の力には苦戦を強いられた。剣は折れ、盾は砕け散り、敵の武具を使用する程度には。
「おにーさん、もうくたくただよ」
実のところガスパールの出番はあまりなく、ほとんどがドロシーの手柄だった。現役の傭兵と、引退しかけている戦士。あらゆる技量の差は歴然としていた。ガスパールは、すっかり疲れきったドロシーに声をかけることしかできない。
「情けない声だすなよ。多分この先で最後なんだろ? ちゃっちゃと終わらせようぜ」
「うーん、軽く言ってくれるねえ。仕方ない、やるか!」
さびついてはいるが未だ大広間を守っている巨大な扉を、力いっぱい押し開けた。
7
天井は遥か高く、暗闇に包まれた大広間。誰が点けたのか、並び立つ松明が爛々と燃えている。上層から滝のように打ちつける水の音がうるさい。
そして『それ』は大広間の中心で異彩を放っていた。視認できるほどに濃い魔障をまとい、その闇の中でも光かがやいている鎧。
「やつがここのボスってわけかい」
「あんな濃厚な魔障さえなければ、ただのさまようよろいに見えるんだけどな…」
「きらっきらなのはなんでかね?」
「魔障の力で鎧が最適化されてる……とか」
「まあ、そんなところか」
「とは言え、こいつが事件の元凶だって確信はないんだよな」
これまでに散らしてきたさまようよろいとは一線を画する存在であることは明らかだった。どっしりと構え、威厳すら感じる佇まい。思わず、近寄るのも躊躇してしまう。
二人が動けずにいると、鎧のほうから話しかけてきた。
「我ハ求ム……強キ者。兵ヲ散ラシタ貴殿ラヨ、手合ワセ願オウ」
言うが早いか、剣を突きだして駆けてくる鎧。その見た目に似つかわしくないほどの速度で、二人に向かって走ってきた。
「おわっと!」
がきぃん、と激しい金属音を鳴らし、ドロシーの持っていた盾はひしゃげてしまった。追撃を警戒し、二人は鎧から距離をとる。
「我ノ剣ヲ、超エテ見セヨ」
「……いくぜ!」
敵意を明らかにした鎧に対し、もう躊躇することはないと斬り込むドロシー。少し遅れてガスパールも斬りかかる。二人がかりの剣戟を、鎧は紙一重でかわし、盾で防いでいく。何らかの型に嵌まった動きのように見えるその姿は、まるで歴戦の騎士のようであり、剣術の素晴らしさにドロシーは舌を巻いた。
「どこぞの騎士サマの魂でもこもってるのか!? これならどうだ!」
ふっと周囲に魔力が漂い、ドロシーは隼の如く素早い二連撃をくりだす。しかし鎧もドロシーの剣に合わせて自らの剣を振るい、完璧に身を守ってみせた。そして続けざまにドロシーを射抜く凶刃。
「ぐっ……!」
剣ごと弾き飛ばされ、袈裟懸けに斬りつけられる。身を守る盾はすでに無く、傷を増やしながら逃げ惑うしかなかった。
「ドロちゃん!」
ガスパールが鎧を横から押し飛ばすも、その衝撃で剣は折れてしまった。
「へへっ、おにーさん、ちょっと今日は疲れちまってるかな」
「それもあるけど、あいつ滅茶苦茶に強いぞ」
「全快のおにーさんだったら余裕なんだけどなあ」
顔に疲労と苦痛を浮かべながらも軽口をたたくドロシーは、見ているほうが痛々しかった。
「ま、もしもの話をしてても仕方ないな……ところでガスパくん、武器まだ残ってる?」
「ナイフが1本だけ。あぁ、フライパンを鈍器に数えるならそれもだ」
それを聞いたドロシーは何故か楽しそうに笑い、高らかに吠える。
「バカ言え。そいつぁーこの後のメシのためにとっときな!」
8
「へへへ…おにーさん、やべえだろ」
「うるせぇよノロマ…鎧がゴツ過ぎんだよ…」
「余計なお世話だ…」
足を投げ出してへたりこむ二人。お互いの健闘を讃えるように拳を合わせた。
「ガスパール君がナイフを持っててくれて助かったよ」
結果的に、魔障をまとったさまようよろいを倒すことは出来なかった。しかし、無力化には成功した。
あのとき、ドロシーが鎧の不意をつき、関節を極めた。そしてガスパールが鎧の兜と胴体の隙間にナイフを突き刺し、兜を引き剥がした。頭を失った胴体は倒れたが、兜は依然として「卑怯モノ!」と喚いていた。兜だけ袋に包んだため、もう胴体と繋がることは出来ないようだった。
「こんな風に、ただの防具みたいにしてしまえば眩しいほどに綺麗なのにな」
「……うん、まあ、なんとか勝ててよかったよ」
ガスパールは何やら考えこむような仕草をしつつ、首肯する。
「とりあえず、帰る前に少し休憩しておこうよ。フライパンの出番だぜ!」
「メシはあとでな…」
「えー、腹へったよガスパールくぅーん」
「草でも食ってろ」
ガスパールは、僕も疲れたんだよ、と呟いてから寝転がった。
9
「おかえりなさい」
ビストロに戻った二人はイラーナに出迎えられ、ようやく気持ちを休められた。戦闘が続き、無意識のうちに気が張っていたことに今やっと気づいた。
少し時間を置いてから、ガスパールは全員分の料理を作り始める。今夜は一番の得意料理、バランスパスタだ。
パスタを食べながら、テーブルの向かいにいるドロシーへ問う。
「それで、本当のところ僕を誘ったのはどうしてなんだ?」
ガスパールが戦力としてあまり役に立つ訳ではないことを、恐らくドロシーは事前にわかっていた。だからこそほとんどの敵を一人で請け負っていたのだろうと考えての質問だった。
そんなガスパールの疑念を特に察しもせず、あっけらかんとドロシーは答える。
「仕事とはいえ、楽しいほうがやる気が出るだろ? たまには友人と遊びたくなった、それだけだよ」
ドロシーのことを仕事人間だと考えていたガスパールにとっては、意外な回答だった。
「おにーさんは仕事のために生きてるわけじゃないからね。仕事をして、金を稼いで、その先がある。でも仕事が辛いだけじゃ嫌だろ? だから楽しみも探しながらこなしてるのさ」
自分と過ごすことを『楽しい』と言われて嫌な気はしない。そして、血生臭く緊迫した世界に身をおきながらも笑顔を絶やさないドロシーの強さを垣間見たように思った。
夜は更ける。
何のために生きているのかはわからないけれど、それでも明日を生きていく。