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カーリング女子と友人の発言にみる『ヒトのコンテンツ化』

先の平昌五輪において銅メダルを獲得したカーリング女子。喜ばしい結果にも関わらず、祝賀パレードでのスピーチで選手が願ったのは『カーリング選手としての評価』だった。

そだねー』『もぐもぐタイム』など、実績外──スピーチでの表現を用いるならば『選手としてのパフォーマンス』ではない部分──がフューチャーされることが多かったカーリング女子。しかも結果を残しているのに、この扱いである。アイドルではなく一介のアスリートとして、思うところがあったのかもしれない。

 

 

以下は僕の友人の話である。友人は絵を描くことが好きで、SNSに絵をアップすることも多い。その友人は「コンテンツでフォローされてコンテンツだけ褒められてコンテンツに飽きられた時に、使い捨てでポイされてるなって感じることが多々ある」と語った。

 

 

特にそういった方面に詳しいわけでもないので、これといったまとめもない。

ただ、どこかの誰かに言いたいのは、モノ消費からコト消費と言われるようになって久しいが、ヒトとコトを同列に扱いがちな社会はどうなのか、ということ。

絵にしても音楽にしても「作品は好きだけど人柄が好きじゃないから評価しない」という意見もあるというが、似たような問題だろう。

 

まぁ、なにかにつけて根底にある『ヒト』の部分、情緒的な部分を無視できないというのも人間の良さかもしれないが……