雪が降り積もる地。周りを見下ろすことのできる小高い丘に、その建物はあった。
(ここが……ビストロ ガスパール)
声を発するのも躊躇われるほど静かな、寂れた店。いや、店だった建物。使われていた形跡はとうに無く、周囲の綺麗な雪原が人の往来を否定していた。
アストルティア有数のレストランとして名を馳せていた【ビストロ ガスパール】。グレン住宅街 雪原地区に建てられた店は、多くのスタッフとお客さんに支えられていたという。
しかしある日、店主のガスパール氏が閉店を発表した。スタッフにもお客さんにも理由の説明はなく、全てが謎のまま氏は消えた。また、この店のコンシェルジュでありパートナーでもあったイラーナ氏も同時に行方をくらましており、恐らくは二人でどこかに行ったのだろうというのが世間の見解だった。
それから7年後にグランゼドーラ領の片隅でガスパール氏とイラーナ氏の死体が発見された。さらに20年が経った今、このレストランのことを覚えている人間がどれだけいるだろうか。
タヤーカは恐る恐る扉を開いて店に入った。木材を基調とした、質素ながら温かみのある店内……であったのだろう。今は埃が積もり、何もかもの時間が栄華の中で止まっていた。
本棚、テーブルに置かれた手帳、散らかった書類、ひとつひとつ丁寧に目を通す。スタッフ間の連絡帳、顧客リストに帳簿、表紙に調理職人日誌と書かれたノート、すべての情報をかき集めた。
「彼が突然いなくなった理由は、僕にもわからない。自分で言うのもはばかられるけど……彼の右腕だった僕にさえ、何も相談しなかったんだ。それとも右腕っていうのは僕の思い上がりで、彼は、誰のこともなんとも思っていなかったのかもしれない」
ここに来る前に会った、かつての従業員の言葉を思い出す。当時を知る人からしてもこの従業員はガスパール氏の相棒であり、何でも話し合える仲であったと言われていた。その従業員にさえ何も言わずに消えたガスパール氏。
「そういえば彼が消えるずいぶん前のことなんだけど、僕らの共通の友達から、店をガタラに移さないかって誘われていたことがあったな。雪山よりも住宅街のほうが人気が出そうだってみんな思ったんだけど、ガスパールは『僕を客寄せパンダにでもするつもりなんだろうよ』とか言って断ってたっけ。あの頃からだったかな。急にガスパールと他のスタッフとでもめ事が増えたんだよね。なんか他人が信じられない、みたいなこと言ってたな。まぁ、もともと友達の少ない男ではあったしなぁ」
書棚の奥の方に仕舞いこまれていた手紙には『店舗移転のご提案』と書かれていた。要は、友人たちで近所に住むからガスパール氏の店もどうだろう、という内容だ。どうやら右腕さんの言っていたことは真実であるようだ。
母は、このことを言っていたのだろうか。いつか言っていた「あの人に沢山の仲間がいたら、私たち家族はもっと幸せに生きられたのかな」という言葉。その言葉を疑問に思い、私はここまで調べてきた。
仲間と聞いての予想でしかないが、移転の申し出を受けていればガスパール氏の周りには友達も多く、人の出入りのある土地で店の人気も上がっていたのかもしれない。
(全部、そうであってほしいという楽観的な願望でしかないんですけどね)
それでも今から自分が成そうとしていることを考えれば、その願望に賭けるしか方法がなかった。
目的、ガスパール氏とイラーナ氏の滅びの運命を変える。
方法、店舗移転を実現させて、ガスパール氏に沢山の友人をつくる。そして【ビストロ ガスパール】を人気店にしてお客さんを集める。そしてガスパール氏と仲良しのお客さんを増やす。
やることは決まっていた。辿るにふさわしい道もわかったはず。なに、道を違えたと気づいたなら、それから修正すればいい。
「私はわりと何でもできます。例えば徒手空拳の武術だったり、レストランの管理だったり、『時渡り』だったり。大丈夫です、私は昔から優秀で、なにより運が良いので。この世界の私を捨ててでも、この願望を叶えてみせます」
誰も知らない店内で、タヤーカは呟いた。時を移る、時間を売る呪文と共に。
「待っていてください、お父さん、お母さん」
「タヤーカ、とっとと賄い食べちゃいなさい。まだ店先の掃除終わってないだろ!」
「はいはいやりますよーっと」
「いらっしゃいませ!【ビストロ ガスパール】へようこそ!」